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来迎寺
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金池山来迎寺
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photo  時宗(開祖:智真一遍上人)、永仁5年(1297年)遊行二祖真教上人、元亨2年(1322年)幡応尚初代住職以来、代を重ねること37代約700年。在住の豪族長野氏の信仰をうけ、同一族の隆盛と共に栄え、箕輪城落城によって一端は衰微したと思えるが、江戸時代の徳川氏の厚遇と歴代遊行上人の廻国により、広く一般大衆への念仏信仰の浸透に伴い教勢が拡大したことがうかがえる。
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ごあいさつ
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来迎寺37代住職 星 明夫  近年、日本の世相は、核家族の増加に伴い子孫のない方、墓地祭祀の継承者がない家族など急激に増加して参りました。この度、当山におきましては、これらの人々が安心して生涯を送っていただくために、永代供養墓即ち来迎寺が貴方自身の子孫となって永遠に供養し、無縁墓地にしないことをお約束する霊地を境内の一面に設け、お引き受けすることにいたしました。宗派を問わず(合同墓)日々不退に御供養を申し上げ、春秋の彼岸には総供養を奉修したいと思います。なお、古来より来迎寺の檀信徒に限られておりましたが、受け入れざるを得ない社会ニーズの高まりに答える為、新しい形態の墓地の提供、理想の納骨堂を目指して努力してまいります。
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来迎寺の歴史
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 永仁5年(1297年)遊行二祖真教上人の開基。元享2年(1322年)幡和尚初代住職以来代を重ねること37代約700年経っている。
 念仏道場として開山された当山は在住の豪族長野氏の信仰をうけ同一族の隆勢と共に栄え箕輪城落城によって衰微したと思えるが、江戸時代徳川氏の好遇と歴代遊行上人の廻国により広く一般大衆への念佛信仰の浸透にともなって教勢が、拡大したことがうかがえる。記録によれば元禄10年(1697年)満龍和尚(19代)の大日堂再建、宝暦13年(1763年)章及和尚(25代)庫裡建立ならび梵鏡新鋳等寺の整備が行われている。
 昭和17年宗教団体法の寺院となり、長野弾正業国元亀2年(1571年)開基の善長院を昭和28年合併、宗教法人法の寺院となった。
 昭和58年4月前住職星徹心代に本堂を新築今日に至っている。
ちなみに、ここ浜川第二地区は別名浜川道場と呼ばれているが、来迎寺宗派時宗の踊念仏(念仏道場)からきている。

由来・沿革
名 称 金地山 来迎寺
所在地 高崎市浜川町981番地
住 職 37代 星 明夫
宗 派 時 宗
本 尊 阿弥陀如来
経 典 阿弥陀経(浄土三部経)
教 義 阿弥陀如来に帰するために無心に念佛
を唱えること、それは家業につとめ、
はげみ、むつみあえば長寿を保つこと
ができ、浄土への道が開かれるとする
教えである。
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案内図
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